寧日雑考 第92号 私という意識3 2023.08.27
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YouTubeで福岡伸一 氏の動的平衡についての講演を視聴した。

生命は流れの中のよどみである、と言う。

モノを食べることにより身体を構成する物質は
日々置き換わっている。

早いものは消化管の細胞で数日、血液は数ヶ月で置き換わる。
数年も経つと骨も含めて完全に置き換わるらしい。

つまり、数年前の私と今の私は、物質的に全くの別人といえる。
しかし、自己同一性、私という意識は変わっていない。
これが生命である、という結論と理解した。

これを聴いて、20年来の疑問に自分なりの回答を得た。

雑考400 第178号第179号「私という意識」
2000年4月に書いた。
哲学者 永井均氏の「火星に行った私は私か」という
エッセイに触発された内容だ。

簡単に書けば、以下の内容である。

 映画「スタートレック」に出てくるような
 空間移動装置が完成したと仮定する。
 原理はFAXに似ている。

 (1)身体をスキャンして火星に情報を送る。
 (2)火星では受信情報から手元の材料で身体を復元する。
 (3)上記(2)の復元が完了したら、(1)の身体は分解される。

 火星旅行に行く私は、空間移動装置に入って眠り、
 気づくと火星に居るという訳だ。
 もちろん私の記憶は連続しており、先ほどまで地球に
 居たと思っている。

 ここで手違いが発生する。手続き(3)が行われず、
 地球上の私の身体は分解されずにそのまま残った。

 さて、地球の私(1)と火星の私(2)、どちらが私か?

これには参った。当時、私は「私という意識の不思議さ」
に捕らわれていたので、頭を抱えてしまった。

その後、養老孟司 氏の講演で聴いた話の一部を、
雑考400 第325号「クローン人間」に書いた。
「クローン人間は年の離れた一卵性双生児。作るだけ無駄」
という話である。

火星の私(2)は、クローン人間である。だから、
オリジナルである地球の私(1)とは別人格になる。

一方で、装置に入るまでの記憶は連続しているので、
地球の私(1)とほぼ同じ人格とも言える。

それでも、思考実験で、しかも空間移動装置は完全にSF
なので、火星の私(2)の実感がどうしても湧かなかった。

食物摂取と代謝により身体を構成する物質は置き換わる。
だから、数年前の私と今の私は物質的に全くの別人である。

それにも関わらず、私という意識は同じだ。

つまり、身体の物質的な入れ換え・再構成に、SFの
空間移動装置などは不要で、普通に起きていた現象なのだ。

これで火星の私(2)を、実感を持って理解できた。

さて、「火星に行った私は私か」の回答は次の通りだ。

1.地球の私(1)も火星の私(2)も、どちらも私である。

2.「私という意識」は空間移動装置に入る直前まで1つだが
 地球の私(1)と火星の私(2)の2人にそのまま移転される。

3.装置を出た瞬間から、地球の私(1)と火星の私(2)は、
 それぞれの来歴が始まる。

4.直後に私(1)と私(2)が会話したら、互いに、顔が同じで、
 自分と同じ考え方をする変な奴で気持ち悪い、と思うだろう。

5.何年かして二人が会話したら、互いに、顔が似ていて、
 自分と似たような考え方の傾向を持つ奴だ、と思うだろう。

これは想像だが、同じ環境で一緒に育った一卵性双生児が
大人になり、それぞれ自立して数十年ぶりに再会したとき、
5.に近い感覚を持つのではないだろうか。

20年ぶりの難問解決にわくわくしている。

だから、分析哲学・考察はやめられず、
世の中は謎に満ちていて、人生は面白い。

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横浜市 橋本 好次(はしもと よしつぐ)
mail:monburu@nifty.com   http://zak400.zatunen.com/
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( 「寧日雑考」は、自由・不定・記録 を方針とした考察です)
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