雑考400 第137号 価値について 1999.12.26
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少し長くなるが 岸田秀 著「続・ものぐさ精神分析」中公文庫から217頁、
「価値について」の冒頭部分を引用する。


 私は本書で書いているようなことを大学の講義でもしゃべっているのだが、受講してい
る学生たちからときどき、「そのような考え方をしていてむなしくないのか」と質問され
ることがある。わたしの考えによれば、人類の歴史は幻想をもってはじまり、社会は幻想
で成り立っており、恋愛も幻想なら、異性の性的魅力も幻想、親子の愛情も幻想、何でも
かんでもみんな幻想というわけで、わたしの講義を聞いていると、一部の学生は、世の中
が何となくむなしくなってき、この先生は本気でそう思っているのだろうか、もしそうな
ら、何のために生きているのだろうか、まるで人生にはそのために生きるに値する価値な
どどこにもないみたいではないかなどと疑問に思うらしい。
 まったくその通り、わたしは本気でそう思っている。まさかふざけて、幻想だ、幻想だ
とわめいているわけではない。そして、そのために生きるに値する価値なんかどこにもな
いと思っている。そのように答えると、「それではなぜ生きているのか、なぜすぐ死なな
いのか」と重ねて質問してきた学生がいたが、わたしにはこの質問は意外であった。
 こういう質問が出る前提として、人間が生きているのはそのために生きるに値する何ら
かの価値のためであって、そのような価値がないなら死んだほうがましだという考え方が
あると思われる。わたしは、このような考え方こそおかしいと思うのである。いや、ただ
おかしいだけでなく、きわめてはた迷惑な考え方だと思う。
 そもそも人間がそのために生きるに値する価値なんかありっこない。そんなことは、
ちょっと考えればわかることである。人類がこの地球上に存在しているということ自体が
そもそも、価値のないことである。もしあるとすれば、誰が人間にそのような価値を与え
たのか、どこからそれは降ってわいてきたのか。もし人類にそのような価値があるとすれ
ば、猫にもそれはあるのか。蛆虫にもそれはあるのか。もし人類にあって、猫や蛆虫には
ないとすれば、どこにその違いの根拠があるのか。逆にもし、猫や蛆虫にもあるとすれば
人類、猫、蛆虫に共通な価値の根拠はどこにあるのか。それともまた、たとえば人類の価
値のほうが猫の価値より高いというような、価値の高低があるのか。もしあるとすれば、
その根拠は何か。要するに、価値というものも、わたしに言わせれば、例によって例のご
とくいつものことながら、人間の勝手な幻想に過ぎないのである。
 しかし、そう言ったからとて問題は解決しないことはわかっている。問題は、人間がな
ぜ生きるための価値というものを欲しがるかということにある。−略−

第134号で「人生の目的」を書いた。「人生に目的など無い」という結論に、抵抗を感
じる人も多かったと思う。私が危惧するのは「人生に目的は無い=人生は生きるに値しな
い」と短絡的に考える事や、「人生は目的を持たなければならない」と強迫観念的に思い
込むことだ。もちろん、目的を持つことは大いに結構なことだと思う。私も、今年こそ○
○をやるぞ、と毎年目標を定め、達成できるよう心がけることにしている。(挫折するこ
とが多いのが難点であるが)まもなく1999年も暮れる。惰性に流され続けるでもなく、か
といって肩肘張るわけでもない程好い人生の目的を決め、2000年を迎えようと思う。

※今回は400字をオーバーしましたが、了承願います。
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黒姫高原 橋本 好次(はしもと よしつぐ)http://member.nifty.ne.jp/monburu/
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( 「雑考400」は、40字×10行の、1分で読める系統立っていない考察や考証です )
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