雑考400 第117号 選択の悩みは贅沢 1999.11.7
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江戸時代中期の白隠禅師が禅の修行中、人生の進路に迷いが生じた。白隠禅師はその時、
目を閉じて選んだ書物が儒学の書なら儒者に、仏書であればこのまま仏道を進もう、とい
う賭けをした。結果は、そのまま仏道を進むことになったと言う。
ひろさちや著「禅」ダイヤモンド社1982.5.27初版173頁から、少し長くなるが抜粋する。

『『『
わたしたちは、ときどき、「あれか、これか」に迷うことがある。小は、たいとえば、
今日の昼めしをカツ丼にするか、ラーメンにするかの迷いである。大は、いまいる会社を
辞めるべきか否か、である。カツ丼と退社と一緒にするとはなにごとぞ、とこれもまじめ
な読者からお叱りをうけそうだが、なるほど問題の大きさはちがうかもしれないが、迷い
のあり方そのものは両者ともに同じである。すなわち、どちらに転んでも構いはしないか
ら迷うのだ。
 この言い方は奇異に聞こえるかもしれない。しかし、ちょっと論理的に考えれば、この
表現で当たっていることがおわかりになろう。なぜなら、ラーメンが嫌いな人、したがっ
てラーメンに決まっては困るひとであれば、カツ丼かラーメンかに迷うことはないのであ
る。迷わずに彼は、カツ丼を選んでいるはずだ。選択に迷うということは、じつは贅沢な
悩みである。
 といえば、反論があろう。会社を辞めれば生活に困るから迷っているのだ、と。でも、
ほんとうは、その反論のほうが馬鹿げているのである。会社を辞めて生活に困るのであれ
ば、なにも迷うことはない。辞めずにおればよいのである。石にかじりついてでも、しが
みついているべきだ。辞めてもなんとかなる・・・と思っている人が、たいていは迷うの
である。したがってその問題も、カツ丼かラーメンかと、迷いの質は同じである。−略−
』』』
このあと、迷った場合の解決方法として賭けをするのも良いだろう、と続く。十円玉を投
げて、表ならA、裏ならBと決める。大切なのは、一旦決めたら迷わないこと。その為に
は、はじめから「あきらめておく」ことだという。「あきらめる」とは、本来「真理を明
らかにする」という意味であるという。人生は1度きりである。あれもこれもと欲張って
も所詮はどうにもならない。迷い、悩んで、ストレスを溜める分だけ、結局は損をする。
雑考400第9号で「こだわりを捨てる」を書いた。久しぶりに再読し改めて納得した。

※今回は400字をオーバーしましたが、了承願います。
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黒姫高原 橋本 好次(はしもと よしつぐ)http://member.nifty.ne.jp/monburu/
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( 「雑考400」は、40字×10行の、1分で読める系統立っていない考察や考証です )
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