寧日雑考 第110号 DIE WITH ZERO 2025.01.26
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「DIE WITH ZERO」はビル・バーキンス氏著作の書籍名である。(注1)
「ゼロで死ね」とはなかなか過激な言葉だ。初版は2020年9月。
副題は「人生が豊かになりすぎる究極のルール」とある。
私は先月2024年12月に初めて読み、感服した。
著者の主張は「人生を楽しめ」に尽きる。そして、そのための
具体的な考え方を教えてくれる。
「人生」とは何か? この定義が考察の出発点だ。
そして「楽しむ」。 これを解く鍵は、
「金(カネ)」「健康」「時間」である。
バーキンス氏は 人生は経験の合計だ という。
私も強く同意する。経験=記憶だからだ。
人生とは来歴、即ち個人の記憶がその全てである。
今から25年(四半世紀)も前の発行だが、
「雑考400 第45号 ドラえもんの最終回1」は
その一例だ。ドラえもんの記憶は彼の人生であり、同時に
のび太の人生においても、とても大事な部分である。
人生=経験(記憶)であれば、辛い経験よりも愉快な経験を
少しでも多く重ねた方が人生をより楽しめることになる。
楽しむ=愉快な経験 だからだ。
愉快と感じる経験の内容は十人十色で、ヒトの数だけある。
立身出世・金儲け、趣味・娯楽、恋愛・性愛、家族団欒、
自己実現、奉仕活動など、各個人それぞれが追求すれば良い。
なお一口に辛い経験・愉快な経験と言っても簡単ではない。
例えば
「スポーツで肉体的・精神的に苦しい練習を積んだから
本番での優勝という成果に結びついた」
「猛勉強の結果、難関大学に合格した」
などが考えられる。
そして、愉快な経験を実現するために必要なのが、
「金(カネ)」「健康」「時間」である。
勿論「金(カネ)」が無くてもできる愉快な経験は色々ある。
しかし使える金に応じて経験の選択肢は飛躍的に増える。
現在なら宇宙旅行ですら可能だ。
「健康」は言わずもがな、だろう。
いくら金と時間があっても、心身の健康が無ければ、
愉快な経験は限られる。寝たきり状態を想像すればよい。
「時間」には2つの意味がある。
一つは物理的な時間だ。多忙で何かを経験する時間を
確保できない、余命○ヶ月を宣告され経験のための
生きる時間が限られる、などの時間である。
もう一つは、過去に戻れない時間だ。具体的には40年前・
20年前・そして今の、自分の時間である。
現在62歳の私が、仮に40年前の自分と今の自分とで
同じ経験をした場合、全く違う思いを抱くだろう。
若い私は未熟だが希望と体力に溢れており怖いものは
何もなく何でもできると考える。
一方、今の私はある程度の分別はあるものの、体力も
気力も衰え、先が見えており、冒険よりも余生を無難に
過ごすことを考える。
実は同じ経験は二度と出来ない。自分が変わるからだ。
やりたいと思うことも年齢と共に変わる。
だから今やりたいことは、借金をしてもやった方が良い。
年を取ると出来ない事が多くなり、またその経験の意味が
変わるからだ。但し、データに基づいて論理的に、慎重に
考えた上で、と著者は言う。
DIE WITH ZERO(ゼロで死ね)で主張される内容のうち、
私が最も強く触発されたのは、死ぬ時までに財産を使い切れ、
というものだ。
財産相続も、死んでから子どもに渡すのではなく、
生きているうちに渡すのが良いという。
確かに60歳を過ぎてから貰うよりも、子育てや
住宅ローン等で何かと金が掛かっている今貰う方が、
遙かに有り難いに違いない。
老後に備えて貯めた預貯金は、結局、自分では使わず、
死んでから子どもに相続される割合が極めて高いらしい。
私の感覚では、日本でも似たようなものだと思う。
子どもへ渡す財産の額を決めて生前贈与した後、
死ぬまでに残りの財産を使い切る。
寿命が分からない以上、長生きのリスクを考えると
死ぬまでにちょうど財産を使い切るのは難しい。
しかし財産の大半を残して死ぬのは、それこそ
もったいない人生とも言える。
まずは基本の生活支出と、健康寿命を全うしたあと
想定の寿命を迎えるまでの年金収入と預金の取崩し
を計算して、DIE WITH ZERO(ゼロで死ね)の
実現を目指そう。
(注1) ビル・バーキン氏 略歴
1969年アメリカテキサス州ヒュース生まれ。
アイオワ大学を卒業後、ウォールストリートで働いたのち、
エネルギー分野のトレーダーとして成功を収める。
現在は、1億2000万ドル超の資産を抱えるヘッジファンドの
マネージャーでありながら、ハリウッド映画プロデューサー、
ポーカープレーヤーなど、さまざまな分野に活躍の場を広げている。
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