寧日雑考 第19号 月旦 2016.12.24
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社会人となって32年経過し、それなりに人を見る目を持っているつもりだった。
しかし、同じ人物に対する評価が、自分と第三者とでは180度異なる場合があることを
今更ながら痛感した。

或る人物Aに対して、私はプラスの評価だが、第三者はマイナスの評価だったのだ。

常日頃「人は己の脳を通してのみ世界と関わる」と公言している私としては、
正反対の評価に驚いてしまったことに忸怩たるものがある。
これは頭で分かったつもりになっていることと、血肉となっている知恵の違いだろう。

Aの態度・応答は、私に対するものと第三者に対するものとでは当然異なる。
そのうえ好悪の感情が絡めば、Aの反応は正反対になるだろう。
有り体に言えば、自分にすり寄る者は可愛く見える、ということである。
つまりは昔から言う、ゴマすり、に乗せられた訳だ。

一方で、相手によって態度を変える者は信頼できない、と言われるが、
誰に対しても全く同じ態度を取る者の居場所は、普通の組織には無い。

なんの権限も、利害関係も無い私でさえ、これである。
組織の上長や、強い権限を持つ者は細心の注意が必要だろう。
面倒なことである。

究極的には、多数決による月旦しかあり得ないという事だろうか。
しかし、選挙に代表される痛恨の経験から分かる通り、
多数決の結果が正しい保証は、どこにも無い。

だから自分の評価を信じるしかない。

結局、客観的な月旦などは存在し得ず、常に「○○の月旦」ということになる。
すると、月旦を行った者である○○が重要になってくる。
○○が言うのだから、正しいだろう、という訳だ。

では「○○が言うのだから」の正しさは何によって保証されるのか?
斯くして話は振り出しに戻る。

やはり自分の判断を信じるしかない。そのためには日々精進研鑽あるのみだ。

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横浜市 橋本 好次(はしもと よしつぐ)
mail:monburu@nifty.com   http://zak400.zatunen.com/
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( 「寧日雑考」は、自由・不定・記録 を方針とした考察です。)
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