雑考400 第162号 天は人の上に 2000.2.29
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福沢諭吉の著書に「学問のすゝめ」がある事を、有名な冒頭の一節『天は人の上に人を造
らず人の下に人を造らずと言えり』と共に昔、学校で習った。一万円札の顔となる前の事
だ。福沢翁については慶應義塾を開いた、くらいしか覚えていない。この一節から、人は
生まれながらにして平等である、という事を説いた人なのだろう、と漠然と考えていた。
そして恥ずかしながら、この後にどのような言葉が続くか知らなかった。過日、林望 氏
著「知性の磨きかた」1996.11.5 PHP新書の中で、この冒頭の続きを読む機会があった。
正直言って驚いた。曲解の危険性もあると思うが、敢えて、慶應大学のホームページ
http://www.keio-union.or.jp/susume.html から、少し長くなるが、一部抜粋する。

『『『
 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。<略>
されども今広くこの人間世界を見渡すに、
かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、
富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、
その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。
実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。
されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。
また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。
そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人
という。
すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。
故に、医学、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、
[夥]多の奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。<略>
されば前にも言える通り、人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。
ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、
無学なる者は貧人となり下人となるなり。
』』』
       文中、[夥]は、原文で「*」となっていたのを橋本が補正した。

正に「学問のすゝめ」である。学問をすれば、頭を使う難しい仕事ができるようになり、
医者・学者・官僚・豪商・豪農など身分の高い貴人・金持ちとなる。一方、無学な者は単
純な肉体労働を仕事とする身分の低い貧乏人・下人となる。と福沢翁は書いている。全く
正しいと思う。士農工商の時代とは違い現代は、個人の努力如何で、どのような職業にも
就くことのできる道が、基本的には開かれている。但し、学問の有無と人間の魅力及び人
格が、必ずしもリンクするわけではない事は、昨今のニュースを見るまでもない。この部
分だけを読むと、とにかく勉強して頭を使う難しい仕事に就き、富と尊敬を得ることが良
いことで、それが学問の目的のようにも読める。だが、この部分だけを読んで福沢諭吉の
思想を知ったつもりになるのは危険だろう。前述の林望氏によれば、福沢翁が言いたかっ
たことはそれだけではない、として”出世の方便に堕した学問”のサブタイトルで、同じ
「学問のすゝめ」から別の箇所の引用もしている。とは言え、1万円札の福沢翁の顔をし
げしげ眺めると、上記引用文がぴったりくるように見えてしまうのは、私だけだろうか。

※今回は400字をオーバーしましたが、了承願います。
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黒姫高原 橋本 好次(はしもと よしつぐ)http://member.nifty.ne.jp/monburu/
mail:NBA00155@nifty.ne.jp http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/1755
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( 「雑考400」は、40字×10行の、1分で読める系統立っていない考察や考証です )
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