寧日雑考 第35号 憂国事情 2018.01.05
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2018年は年明け初日から株価が大幅上昇し、経済界トップの言葉をみても
好景気予想させる雰囲気である。
さて、第28号「輿論」考 に
・毎日きちんと日経新聞を読み、国際情勢、経済事象を
自分の頭で考えている人間は、ほとんどいない。
・数えればきりの無いこれらの問題(政治経済、安全保障など)が日本では、
電車の中吊り広告(新聞の週刊誌広告)とワイドショーによる輿論形成で、
なんとなく雰囲気が醸し出され、総選挙のお祭り騒ぎで決まる。
と書いた。
何故なのか、その理由を考えて、ようやく理解した。
それは、
一定水準の生活境遇に居て世の中を憂えるのは閑人(ひまじん)だから、
または、それが職業もしくは趣味だから、である。
大方の人間は労働と娯楽に追われており、憂国に使う時間が無い。
ということだ。
物事について語るには、基礎知識が必要だ。まして一家言を持つためには、
より深い見識、つまり自分なりの考察が欠かせない。
それは仕事、趣味に関わらずどんな分野でも同じだ。
誰も関心を持たないジャンルなら、その道の第一人者になり易いだろう。
だが多くの人間が影響を受ける政治経済・安全保障について語るためには、
それなりの訓練と覚悟が要る。時間が掛かるし、根気も必要だ。
労働と娯楽に追われている人間に、そんな時間は無い。
だから好みの評論家やコメンテーターの言動やマスメディアの報道を参考
にして、自分の意見を決めているのだろう。
今にして思えば、私淑する岸田 秀 氏が言っていた、
くだらない評論家がはびこるのは、それだけの需要があるからだ。
という言葉の意味がよく分かる。
職業または趣味でしか憂国できない以上、代用思考として手軽に利用
できる評論家の需要は、理屈上、人間の数だけある訳だ。
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