寧日雑考 第11号 洗脳 2016/06/01
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私は「洗脳」や「マインドコントロール」に対して、恐ろしい
という気持ちと、強い嫌悪感と、しかし自分には無縁の事という
楽観的安心があった。

(因みに、マインドコントロールと聞けば、サリン事件の
加害者集団オウム真理教の常套手段として連想される。)

しかし、少し考えるとヒトは洗脳と無縁どころか、社会生活の
基盤となる「躾」は、いわば人生最初の洗脳として、ゼロから
たたき込まれる思想である、と言える。

これに関して、岸田 秀 氏の唯幻論を、私の理解でまとめると、

 本能が壊れた動物であるヒトは、種として生存し続けるために、
 本能の代替物として共同幻想、そして疑似現実を作り出した。
 これによってヒトは社会的動物として辛うじて生き延びてきた。

となる。

野生動物はすべて本能で生きている。魚類、甲殻類、昆虫、
もっと言えば、単細胞生物、細菌類も本能だけで生存し続けている。

但し、動物園・家畜・ペットは、ヒトの都合で自然から切り離され、
人工的環境の中で生かされ、利用されているので、もはや本能だけ
では生存できないものもいる。

因みに、植物の稲は、品種改良が進んだ結果、自生できない植物
(ヒトが栽培しなければ生存できない植物)になっていると聞いた。

ヒトは1人では生きて行けない。例外的にジャングルで1人孤独な
サバイバル人生を送る者もいるかも知れない。しかし種の保存は、
1人では不可能である。そして男女2人の関係は、何事も思い通り
という訳には行かない社会関係の始まりでもある。

本能と疑似現実に関して、安部公房 氏が「死に急ぐ鯨たち」で、
言葉(言語)についての考察を書いている。私の理解でまとめると、

 ヒトは、本能という閉じたプログラムを、開いたプログラムに
 変えてしまった。それは、言葉によって、である。

となる。

開いたプログラムとは、自由度のある、書き換え可能な本能の代替物、
という意味だろう。岸田氏に言わせれば、共同幻想・疑似現実となる。

共同幻想=疑似現実=開いたプログラム を書き換える手段のうち、
即効性があり強制的なのが洗脳であろう。
一方で、説得され、自分が納得しての転向・宗旨替えもある。

敢えて模式化すれば、

      ←自律的   強制的→

   変心 < 転向・宗旨替え <<< 洗脳

だろうか。( < は強制性の強さを表す)

意識する・しないを別にしてヒトは常に洗脳の危険に晒されているのだ。

開いたプログラムは、ヒトは変われるという絶対的根拠でもある。

共同幻想=疑似現実=開いたプログラム を獲得したヒトとして生まれた
幸運を堪能しつつも、ヒトは己の欲望で他者を殺傷し、また原爆も落とす、
開いたプログラムという諸刃の剣によって生き延びていることを自戒し、
用心しなければならない。

広辞苑第5版より

【洗脳】
新しい思想を繰り返し教え込んで、それまでの思想を改めさせること。
第二次大戦後の一時期、中国の思想改造を brain washing と評したものの訳語か。

【マインド‐コントロール】
(和製語mind control) 催眠法によって個人や集団を被暗示性の高い状態に導き、
暗示によって特異な記憶や思考を生じさせること。
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横浜市 橋本 好次(はしもと よしつぐ)
mail:monburu@nifty.com   http://www.geocities.jp/monburu/
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( 「寧日雑考」は、自由・不定・記録 を方針とした雑文です。)
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